『母さん、ごめん。50代独身男の介護奮闘記』
連載のときから話題になっていたし、改めて通して読んだが、本書は介護に無関心であり続けようとする男たちに読ませるべきだ。
私は30代独身男で介護経験なし。60代になった両親は急に老けたし、身体の不都合も増えたようだ。これから加齢でますます衰えていくと思うと、自分がなんとかする覚悟を持たねばと思うこともある。
今のままだと近い将来家族に要介護者が出れば、母親に負担が集中することは確実だ。同居する父、兄、別居で独身の叔父たちは生活能力が皆無で、自分が家事や介護をする必要性を感じていない。私は料理がまったくできない。著者の松浦氏は介護生活において妹の存在の大きさを認めていたが、私は身内に女性がほぼいない。60代の母親にだけ介護の負担が集中することへの危機感から、手遅れにならないうちにと思い介護関連の本を読んでいる。
介護される側の気持ちを想像できていなかったことを思い知らされた。尊厳という言葉がよくでてきたが、まともにコミュニケーションがとれない相手と対峙し続けて介護者が消耗する、とういうのは理解できる。しかし、相手も同じように疲弊している、というところまではなかなか想像が及ばない。介護経験のない私は、本書を読まなければ被介護者の気持ちを考える気になれていなかったと思う。介護者は頭でわかっていても余裕がなくなってしまうのだろう。
プロの物書きによる体験記には、圧倒的なリアリティがあった。当時の奮闘状況が容易に想像できたし、我が事のように思いながら読んだ。
最後に、備忘のために引用しておく。
もしも親孝行を、と考えているなら、認知症を発症する前にするべきだ。認知症になってしまってからは、生活を支えることこそが親孝行となり、それ以上の楽しいこと、うれしいことを仕組んでも、本人に届くとは限らない。逆に悲しい結果となることもある。
『母親に、死んで欲しい』
各章で取り上げられる事例(CASE)の見出しには、取材中に発せられた介護者たちの言葉がそのまま使われている。
私は母のことを、母の皮をかぶった化け物だと思っていました
後悔はしていない。悪いことをしたと思うてる。でも、ああするよりほかなかった
家族が何人いても、結局介護者は一人だけです
結局、逃げたもの勝ちなんですよね
これらを見るだけでも、介護者の悲痛が伝わってくる。
こんな事をしてまで生きている意味はあるのか、いつまで続けなければいけないのか、自分を人間だと思ったらだめだ、感情を捨てないと心が持たない、今ならこいつを殺せそうだ…
本書には、「介護は終わりのないマラソン」「介護ロボット」という言葉も出てくる。介護者が置かれている地獄のような精神状態や孤独をよく表していると思う。
そう遠くない将来、親の人格が変わってしまい徘徊や暴力の症状が現れてきたら、私はそれを病気の影響だとして受け入れることができるだろうか。受け入れることができたとして、そこから始まる長い介護に耐えられるだろうか。本書に登場した介護者たちと同じ末路を辿らない自信はない。